栄光病院トップページ > 栄光通信 > 健康のためのちょっとイイお話し
世間には「健康のための…」って、ほんとにたくさんの記事が出回ってますね。みんなで食卓を囲み歓談する時、観劇しながら笑い声が上がる時、スポーツする時… あの爽やかで健やかな、久しく忘れていた言葉の響きを思い出させてくれます。そう、健康には心身という二種類の要素がありますね。でも実はもう一つ、普段は意識されることのない三つ目の要素も存在するのです(WHO による健康の定義には「身体的、精神的、霊的、社会的」と、なんと要素が四つも含まれていることを思い返してください)。
こんな話をするのは、私が病院でいろんな患者さんたちに接する際、ときに奇異な感覚に包まれることがあるからです。藤江良郎元会長が 口にしておられた「治る病気に癒されず、治らぬ病気に癒される」と言う一節がしばしば心に思い浮かぶのです。これは「霊性(Spirituality)」 のことを言っておられたのだと後になってわかりました。
心が自分との対話で、霊性は自己を超える永遠の存在との対話だとすれば、理解して頂きやすいかも知れません。
皆さん、こんな体験をしたことはありませんか?膨大な人々とお金が行き交う都会のような賑やかなところにいて、今ここにいる自分はこの世界から相手にされていないんじゃないかと感じる瞬間。それはタフな自己主張のやりとりができて、モノを売ったり買ったりできる健康で強い人たちの集団。一方で、ほんとうの救済を求める人たちをはじき出す集団でもあります。あんまり健康な人、裕福な人はあなたの痛みをわかってはくれませんからね。
つまり人やお金ではしばしば人を救うことなどできないし、見えるところの健康や裕福さもしばしば人の霊性を阻害するし…本当の癒しを遠ざける要因になっているということも日常にはあり得るのではないでしょうか。
「私は、健康な目を持っていながら、何も見えていない人々とともに歩んできました・・・この魅力に満ちた世界を旅しながら、彼らの魂は不毛の世界を歩んでいるのです」驚きですが、これはヘレン・ケラーの言葉です。
そして以下は、ニューヨーク市の物理療法リハビリテーション研究所の壁に掲げられている(米・南北戦争)南部連合のある無名兵士の詩です。自分たちが理解することもできないような理不尽な戦いの中へ投じられたウクライナ。その切迫が日々報じられる昨今ですが、この詩からも一兵士の「霊性」が160年の時を超えて今日の私たちに語りかけてくるかのようです。
「応えられた祈り」
功績を立てようと、神に力を祈り求めたのに
謙虚に服従するようにと、弱さを与えられた
より大きなことをしようと、健康を祈り求めたのに
より良いことをするようにと、病気を与えられた
幸福になるようにと、富を祈り求めたのに
賢くなるようにと、貧しさを与えられた
人々の称賛を得ようと、権力を祈り求めたのに
神の祝福と力とを求めるようにと、弱さを与えられた
人生を楽しもうと、あらゆるものを祈り求めたのに
あらゆるものを楽しむようにと、人生を与えられた
祈り求めたものは何一つ与えられなかったのに
実は私が望んでいた、すべてのものが与えられた
このような私にも関わらず、私の言葉にならない
祈りは答えられ、すべての人にまさって、私は最も
豊かな祝福を与えられた
栄光病院・ホスピス医長 柴田 冬樹